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Art at Home vol.3 新しいおうちで、アートコレクション
金谷邸 おひろめ会 & 後藤和恵 コレクション 日時:4月14日(土)13:00〜20:00 /15日(日)11:00〜16:00 *入場無料 会場:金谷邸(金沢市笠舞本町2-6-32横(住所未定)) ※会場に駐車場はありません。/最寄りのバス停:笠舞二丁目 金沢市在住の金谷さんご夫婦が建てられる新しいお家が今回の「Art at Home」の会場となります。まもなく二人目のお子さんも誕生予定の金谷家は目下新居を建設真っ只!その金谷邸に、後藤和恵さんのアートコレクションを展示いたします。名和晃平、青木克世、袴田京太朗、手塚愛子、など錚々たるアーティストが並びます。ぴかぴかの新居を探検しながらアートも楽しむ「Art at Home」、金谷邸でお待ちしています。 ★ぬいぬいテーブル(ひいなアクション) 縫ったり、ボンドを使ったりして、オリジナルのミニバッグを作ってみましょう。小さなお子さんも参加できます。(有料になります) ★キッチン・カフェ(金沢アートグミ料理部) キッチンカウンターにて、アートグミ料理部がカフェをオープン。ドリンク片手に、おうちについて、アートについて、だらだらっとお話しましょ。(有料になります) 主催:NPOひいなアクション 協力:有限会社建築計画 金沢アートグミ料理部 後援:北國新聞社 エフエム石川 アノニマス・コレクター
~彼女が現代美術を集めた理由~ 「アート・コレクターの名を挙げよ」と聞かれて、すぐに返答ができる人は少数だろう。美術史に名を残すコレクターは沢山いる。例えばオーストリア皇帝ルドルフ二世、ウィーン美術史美術館のもととなるコレクションをつくった16世紀の人物だ。近代では大英博物館のハンス・スローン医師、財閥系のベギー・グッゲンハイムもアメリカのモダン・アートを支えた女性コレクターだ。日本では洋画家児島虎次郎と共に大原美術館をつくった大原孫三郎、幻のコレクションと言われる松方コレクションの松方幸次郎など財閥系のコレクターが近代にいる。現代に目を移すとZOZOTOWNの前澤友作、Earth music&ecologyの石川康晴などアパレル系の企業家コレクターが目立つ。彼らは皆が社会的な地位を持ちコレクター以前に著名な人物と言える。つまり「フェイマス・コレクター」。 さて本コレクションを、集めた後藤和恵はどうだろうか。先述の人々に比べれば小ぶりと言うか、比べ物に成らないと本人は思うだろう。だから時に「プチ・コレクター」「サラリー・マンコレクター」などと自称する事があった。けれどもこうした言葉はあまり彼女のコレクターとしてのあり方にしっくりこない。彼女のコレクションが始まった動機の一つに「何者でもない私」という寄る辺ない感覚が潜んでいるからだ。先程のフェイマス・コレクターとの対比で言うならば、アノニマス、名も無きコレクターと言える。 愛知県に生まれた彼女の家庭環境は造形芸術とは距離があった。学校でも図画工作の授業では目立たない存在で、描いた絵は特段評価されることもなく、つまらなさが苦手意識へとつながっていった。他方、音楽を好みピアノレッスンに通う側面もある。一時は音楽大学を考えたが、卒業後の展望に不安を感じ、教育学部へ進み家政学を学び、そのままレールに乗るかのように大阪で教師の仕事に就く。堅実な選択をしてきたようにも思えるが、望んだ人生ではなかったようだ。実績があろうがなかろうが自らを信じ、あるいは勘違いして芸術の世界に身を投じる表現者たちに、羨望と嫉妬がないまぜになった感情が常にあった。 ただ教師という環境は彼女にコレクターの道を開く、それは芸術系大学を出た美術教師や文化に興味を持つ同僚との関係から美術館に行く機会が増えたからだ。中にはギャラリーで個展を開く同僚もいて作品そのものとの距離が縮まる。安定した収入が見込める教師で単身者であることも助け、作品を買うまでにそう長い時間はかからなかったようだ。そこで、彼女の中にある種の価値の転倒が起こった。憧れの表現者は自分とは全く交わらないと思っていたが、購入という積極的な関わりがあることに気づく。オリジナル作品を手に入れることは、いち鑑賞者として関わるよりも深く、アート界においてプレイヤーの一人として立ち回ることが出来た。それは「何者でもない私」の喜びであり復讐でもあった。驚くべき点はその情報収集のマメさである。美術館に行くのはもちろん、現代アート系の貸画廊や販売を旨とするコマーシャルギャラリー、芸術系大学の卒業展覧会まで、関東も含めて動き回る。その背景には懐事情もあった。安定した収入と先述したがフェイマス・コレクターのように潤沢な資産があるわけではない。より安くより良いものを求め、若くて将来性のある作家のある意味で青田刈りに走ることになる。ここでの資金は、例えば海外旅行や服やブランドバックを買う資金と何ら差がない。ともすれば安いくらいだ。彼女のコレクションには50万円を超えるものはないし、10万前後が中心だ。1年に1点購入を最低目標にするくらいだから、購入数も知れている。美術品の価格が高騰するのはセカンダリー・マーケットと呼ばれる市場に出回り、転売を繰り返したときだ。つまり人気が出た株のようにディーリングの対象となることで手の届かない価格になる。だから彼女は初めて売り出された作品を買っている。これをセカンダリーに対してプライマリーとよび、購入したお金はアーティストの収入に直結している。日本ではセカンダリー・マーケットでいくら高く取引されてもアーティストの収入には繋がらない。ヨーロッパでは追求権といって、取引額から幾らかのパーセンテージをアーティストが追求できる権利があるが、日本ではそうした法整備はされていない。ゆえに、セカンダリーマー・ケットは間接的にしかアーティストを支えていないし、ディーリング目的の購入は作品の鑑賞権さえも棚上げされる可能性がある。つまり、価値が上がるまで倉庫に留め置かれ誰の眼にも触れる機会がないのだ。 実は彼女にとってセカンダリーマーケットでの評価はさほど重要ではない。持っている作品の評価額が高くなれば嬉しいが、他方でそれを現金化して儲けようとは思っていない。購入が好きなアーティストを支えているというパトロン的心情が、彼女を動かしている。だからマーケットに再び作品を戻すことは彼女の矜持に反する。最後まで自分の手元においておく覚悟での購入だ。しかしそれではもう一つの問題の解決には成らない。それは先程あげた鑑賞権、文化財としての作品を観る権利の担保だ。彼女も含め多くの無名のコレクターの作品は日の目を滅多に浴びない。例外的に彼女が体系的に収集している森末由美子の「茶筅」と「ヘチマ」がオランダと尼崎の文化施設で展示された事があるが、多くは自宅で楽しむのみとなっている。たまに友人・知人を招いてお披露目することもあるが、それは数少ない「一般に訳の解らないと思われている現代アート」にも興味を持ってくれる人達にだけだ。「この茶筅が◯万円もするの〜高~い」などと宣いそうな人や作品が飾ってあるのに気づきもしないような無粋な人には見せたくないのが、すべてのコレクターの心情だろう。だから本企画は非常にありがたい機会なのだという。 さらなる問題は自分の死後の作品管理である。子供が相続するというのもあるが、転売できないのであれば負の遺産になりかねない。そうなると大概、孫の代で売りさばかれる。死んでいるのだからもういいだろうとも思うが、コレクションを自己表現と捉えると切ない話である。アノニマスなコレクションは美術館に寄付するには少量・少額であり、単品受贈でなくコレクションを維持してもらえる可能性は皆無だ。傍から見ると奇妙な話だが、アートや文化財を所有することはその管理義務を背負い込むことでもある。しかもコレクターが良心的であればあるほど、自らが勝手にそうなってしまう。 最後にアノニマスだった彼女が直面している新たな事態を一部紹介したい。「私のやっていることなんて代わりは誰でもいる」と吐露していた彼女が母になったことだ。「何者でもない私」が親になってしまったのだ。喜ばしいことではある反面、コレクターとしては時間と資金を育児に取られてしまい、リサーチと購入がままならない。このジレンマは子育てと作品作りの両立に苦悩する女性アーティストと同じくしていて、図らずもひいなアクションの活動への理解へとつながっている。後藤和恵は非凡なコレクターではない。その普通さゆえの面白さがある。アノニマスは決して無価値ではない。文化はそうした沢山の無名の人達の関わりがあって紡ぎ出されているからだ。 岡山拓(美術文筆業) |